「四方四里といってね、自分のいるところから4つの方角に4里(16㎞)の地域だけで、暮らしていけるんだそうですよ」

福島県喜多方市。高台から会津盆地を見下ろしながら、この町で古くから造り酒屋「大和川酒造店」当主、佐藤彌右衛門さんは語った。1790(寛政2)年創業以来、彌右衛門の名は九代目となる。

「ここには水も食糧も薪もある。何も他所から持ってくることはない土地だから、大事にしなさい、次の世代に渡していきなさいと、先代から教わりました」と続ける佐藤さん。その隣で大きくうなずくのは、日本食べる通信リーグのコミッショナーである高橋博之さん、その人だった。

10月11日、会津の地で「地産地消」の電力事業を推進する佐藤さんと高橋さんは、福島県産のエネルギーを県の産品にすることを目指すプロジェクト※の一環として、対談企画で顔を合わせた。初対面と思いきや、話しているうちに、佐藤さんが発電会社「会津電力」を立ち上げる際のパーティーで、二人が出会っていたことが分かった。

2011年3月11日、二人は同じ東北の地で被災し、またその惨状を目の当たりにした。
東日本震災の2年後となる2013年7月、高橋さんは風評も含めた被害に打ちひしがれる東北の一次産業を支えようと、「東北食べる通信」を創刊した。翌月の8月、時を同じくして、佐藤さんは地域の自然界に存在する再生可能エネルギーへの転換を図るため、会津電力株式会社を立ち上げたのだ。

顔を見せ合うなり、とめどなく話が続く二人の言葉は、ほとんど完全に重ね合わせることができるものだった。

都市と地方、生産と消費

高橋さんは、都市と地方は、切り離しては生きられない”頭と体”の関係だと表現する。「都市はあくまで消費地であって、生産地がなければ成り立たない」。

「(生産地が困難にさらされたときに)かわいそうだから助けるんじゃない、自分たちが困るから、当然、支えなきゃいけないんですよ」と高橋さん。「生産地の人たちは『福島の人』じゃない、一人ひとり名前がある。生身の人生がある。生産している思いを聞いて共感したら、ありがとう、となるんです」と続けた。

そして、自身の地元である岩手を挙げ、生産者の顔の見えない都市国家のような未来は次世代に残したくない、と語る高橋さんは、同時に「彌右衛門さんのやっていることも全く一緒。食べものがエネルギーになっただけ」と、佐藤さんの取り組みに深い共感を示した。

消費者から生活者へ

佐藤さんは、都市と地方は「補完しあう関係であるべき」だと返す。互いに対等に捉えて、無いものを補い合う関係づくりが必要だと語った。
「都市と地方、どちらが豊かなのかという二元論ではない。そもそも都市と地方という対比の言葉自体も無くなればいいですね」と高橋さんは思いを口にした。

佐藤さんは「消費者という言葉は、さみしいよね」と苦笑いした。
経済用語としての消費者ではない。戦後復興の時代はとうに乗り越えた現代の日本社会に、「食べられるものを600万トンも廃棄する、そんな非道徳的な消費をせず、ある程度豊かになれば、ちゃんとしたものを選ばなきゃいけない」と佐藤さんは警鐘を鳴らす。
買われることで、食もエネルギーも、生産を持続することができる。佐藤さんは、「足りないものを満たすのは消費者。考えて、選択するのが、生活者です」と言う。「先人から受け継いできた自然環境や資源は、次の世代に残さなきゃいけない。だから、選択をする生活者にならなければ」と語気を強めた。

「相手の顔が見えなければ、安く買い叩こうとする。生産側も、効率だけを求めてしまう。逆に顔が見えれば、そんなことはしない。食もエネルギーも、考えて選択する『生活者』を増やすためには、やっぱり、顔が見える関係を作っていかなきゃいけないですね」と高橋さんはあらためて繰り返した。
 生産者が直売するECサービス「ポケットマルシェ」のお客さんも、生産者を知ることで「食べものを残して捨てられなくなったと言います」と高橋さんは続けた。

この対談企画に臨むまで、二人の「食」と「エネルギー」に対する考え方は、畑は違うけど似ているのではないか、と漠然と考えていた。しかし、フタを開けてみると、畑違いという認識がまったく見当外れだったことを痛感した。二人は同じ、生き方の話をしていたのだ。単に扱う題材が違うだけで、社会のあり方、人々の暮らし、そして次世代に残したい未来の選択、それはまったくもって同一の視点からの主張だった。
 家庭で契約する電力小売事業者は、インターネットでの手続きでも簡単に変更できる。食べるものと同様に、未来に残ってほしいエネルギーに、契約というかたちで投票してみてほしい。

文:佐々木 学(北海道食べる通信編集長)

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